SCRIPT:NERVE WORKS

03 不夜の使者 Being of Vesperial Envoy

台詞総数:129  キャラクター数:5名

コーラル
台詞数:46 / 冥界に紛れ込んだ人間。
クロラ
台詞数:19 / 冥界の黒い魔女。口が悪く、姉の天然に振り回される。
シロエ
台詞数:8 / 冥界の白い魔女。おっとりしている妹馬鹿。
バーミリオン
台詞数:20 / カボチャの妖精。人前に現われる時は、黒猫の姿。
マルベリー
台詞数:36 / 死者。森の番人で墓堀り。
No. キャラ 台詞、備考
001 コーラル

「なんて酷い冗談……」

 とてつもなく悪い冗談を聞いた気がした。

 耳を塞ぎ、考える事をやめようとしてそれが適わぬと知る。マルベリーはあくまで事実をそのままそっくり吐き出しただけに過ぎない。涼しい顔で淡々と述べたまま、シャベルを手に取った。

002 マルベリー

「奇天烈極まりない環境で、自分が正しいと主張するのは苦痛を伴う」

003 コーラル

「マルベリーがそうだったように?――そうか、それでマルベリーはあんなに食事を嫌がったのね……」

004 マルベリー

「身を守りたければ話は簡単だ。仮面を身につけ、火を焚く。但し本来の世界でなら、だ」

 親切な忠告に終わるはずの言葉が、より一層コーラルを不安にさせたのは何故か。放たれる音と釣り合わないマルベリーのその落ち着いた態度こそが、今最もコーラルを不安定にさせる。

005 コーラル

「そんなの、こんなところで言ったって」

006 マルベリー

「俺が何故地面を掘り返すか聞いたな?」

007 コーラル

「そうだよ――こんな真っ暗な空を昼間なんて言って、本当に夜の側しかないなら、その死体はどこから来るの? ここでは誰も死なないんでしょう? 毎日そんなに掘り返してるのに、お墓は減らないの?」

 シャベルの取っ手に手をかけたまま佇むマルベリーの顔を覗き込む。

008 マルベリー

「引っくり返したはずの土は不思議と元に戻る。中には何もない。お前のように奔走した事もある。境と思われる場所で、感覚を頼りに日数を数えようと試してみた」

009 コーラル

「上手くいったの? マルベリーは魔女達に比べたら、随分最近になってから入って来たみたいな事を言われてたけど……」

 震える声を必死に押さえて問えば、マルベリーは軽く目を伏せて頭を振った。

010 マルベリー

思い出せない、、、、、、。それが答えだ」

011 コーラル

「途中で眠っちゃっただけじゃないの、思い出せないって」

012 マルベリー

「俺はあの時どうしてそんな場所にいたのか全く覚えていなかった。気が付いたら魔女の小屋にいた」

 回答に正負は存在しない。だがそれではコーラルは納得できない。勢いだけでマルベリーが羽織っていた上着の裾に掴み掛かり、声を張り上げる。

013 コーラル

「私がおかしいの? 素直に忠告に従わなかった私が悪いんだよね? これは夢だよね? 少し眠って目を覚ましたら、全部いやな夢だったって、つまらない日常に戻れるんだよね?」

014 マルベリー

「試してみるか?」

 いつかのクロラと同じ単語を呟く。荒れた手で腕を掴まれたかと思うと、引き摺られた。すぐさま己の足で歩くように指示される。

015 コーラル

「痛い、引っ張らないで。試してみるって、どうするの」

016 マルベリー

「境界線に近付いてみれば良い。幸い、すぐに10月31日の夕方だ。同じ時間を何度も繰り返しているからな、何度でも挑戦できるぞ」

017 コーラル

「待って、私がバーミリオンと会ったのはその辺だったはず。枝に縛り付けた目印のリボンが残ってる。確か私が少し休んでて、バーミリオンが出てきた場所」

018 マルベリー

「その場所だな。外へ向かって歩いてみろ」

 しかし外の時間は内側と一致するのだろうか。そんな事を思いながら投げ出されるに任せて境界線と思しき土を跨ぐ。

 黒猫に扮したバーミリオンと初めて遭遇した森の中央付近には、迷子になったと思って咄嗟に括りつけたリボンが未だ残っている。コーラルが座り込んで休んでいた大木も生えていたので、間違いはない。

 数えながら足を踏み出してみたが、三歩踏み込んだところで後ろに向かうはずのマルベリーが視界に入り、ぎょっとした。

019 コーラル

「私、いつ反対を向いたの? 真っ直ぐ外に向かって歩いたはずだよね?」

 恐る恐る訊いてみると、案の定と言わんばかりに男は溜め息をついた。

020 マルベリー

「俺が見ている限り、お前はぐるっと一周そこで回っただけだ。ここから出られない事くらい、身を持って理解できただろう?」

021 コーラル

「うそ――帰れないなんて嘘だ! 私はただここに肝試しに来ただけで、魔女の小屋があるって分かったらすぐに引き返すつもりだったのに――」

022 マルベリー

「これがあの警告の意味だ。この際だから、俺の昔の名前を教えてやろうか」

023 コーラル

「名前が違う事に意味はあるの」

 場違いな事を言い出したかと思うと、マルベリーは自嘲めいた笑みを浮かべて吐き捨てる。

024 マルベリー

「ジャックって言ってな、どこにでもあるような平凡な名前だ。マルベリーってのは、名前を忘れていた俺に、魔女が勝手につけた名前だ」

025 コーラル

「それと帰れない事とどう関係が」

026 マルベリー

「生死の境界線で帰れなくなったジャックを知らないか?」

027 コーラル

「知らな――ううん、聞いた事がある。村の長老が、子供を怖がらせようとして前に言ってた気がする。ジャック・オー・ランタンの由来だったはず」

 知らないと言おうとして、記憶の隅にあった長老の与太話に当たった。

028 マルベリー

「そうだ、その話だ」

029 コーラル

「飲んだくれのジャック、悪事の所為で天国に行けず。悪魔との契約の所為で地獄にも行けず。火種を抱えて永遠に暗い道を彷徨い歩き続ける……それ、マルベリーの事? そんな話、ずっと昔の……」

 10月31日にはつき物のジャック・オー・ランタンの由来を思い出し口にすると、マルベリーはシャベルの金属の先を地面に突き立てて、肩を竦めた。

030 マルベリー

「ここに時間は存在しない。死は全てに平等だ。俺は魔女の小屋で肉筆の文献を見た事がある。ここはHallowハロウと呼ばれる神聖な儀式の場であり、Hollowホロウという空虚な歪みだ。別にお前の村の隣に存在していたわけじゃない、どこからでも入り込む事ができる。気の狂った魔導師と、その娘である魔女が作り出した凶気の箱庭だ」

 途端目の前が真っ暗になったような気がして、混乱する頭を抱えてその場にしゃがみ込む。

031 コーラル

「そんな話、聞きたくなかった」

 だからと言って解決法を期待してたわけでもなかった。慰めの言葉一つ投げかけてくれないマルベリーは酷だ。行き摺りの他人にそんな親切を期待している自分自身が酷である事もよく分かっている。

 コーラルは俯いた。

032 マルベリー

「目と耳を塞ぐのは簡単だ。ここで既に百年を放浪してる俺が教えてやる。安らかに眠るための手段、痛みを失うための手段、不条理を受け入れる手段。分かるか?」

033 コーラル

「ここで死ぬってこと――?」

 質問を質問で返すと、静かに否定された。

034 マルベリー

「忘れるという事だ。昼の存在、今までいた場所の存在、自分のあり方。そうでなければ俺のように無意味な悪あがきを続けるだけだ」

 ふとシロエが言っていた言葉――全部忘れさせて差し上げるわ(※02:112)――を思い出し、頭を振る。

035 コーラル

「そんなの、無理に決まってる」

036 マルベリー

「そうだろうな。だがもっと簡単な方法がある」

037 コーラル

「――なに? 私は死者じゃない、私は生きてる。それでも出来る方法なの? 生きてるものに変化はない、死なないって魔女が言ってたじゃない」

 手段や手法を問わないのであれば、殺されるのかもしれないなどとも考えたが、死ぬという行程を否定された以上、コーラルには何も浮かばない。

038 マルベリー

「狂えばいい、あの魔女のようにな。そうでなければ魔女を殺すか? 後者は無理な話だな。魔女は既に死者だ。死者は死なない」

039 コーラル

「……マルベリー、死者はお腹が空かないって言ってたけど……じゃあ、なんでシロエは食べる必要のない料理を作っていたの……?」

040 マルベリー

「妖精のためか? いや、それなら連中は勝手に餌を見つけて食う」

041 コーラル

「自分が何か食べる必要がある、ってこと? 死者はお腹が空かないんじゃなかったの――?」

 己が口にした単語をもう一度反芻して、マルベリーは顔を上げた。何かに気付いたような顔は悪い出来事の前兆のように見えて、コーラルの目に薄気味悪く映った。

042 マルベリー

「そうか、死者の時間は動かない。あの魔女は最初から死んでなんていなかったのか――何故そんな単純な事に思い至らなかった?」

 後半は自身に向けて呟いたもののようだった。地面に立てかけていたシャベルを握り、マルベリーはコーラルに対して背を向ける。マルベリーが良からぬ事を企んでいるように見えて、コーラルは慌てて足を踏み出した。

043 コーラル

「待ってマルベリー、どこへ行くの!?」

044 マルベリー

「魔女を殺す」

045 コーラル

「ちょっとやそっとじゃ死なないって言ったじゃない!」

046 マルベリー

「手段を見つける。生きた物は歪んで行くと言ったのはあの女だ。解放されて止まった年月が流れ出そうと、俺は死人だ知った事じゃない」

047 コーラル

「手段って、こんな場所じゃ何も見つからないよ。マルベリー、待ってってば」

048 マルベリー

「……前にもこんな事が――? その時、俺はどうした?」

 唐突に足を止めたマルベリーの背に頭から突っ込み、コーラルはバランスを崩した。顔を上げて茫然としているマルベリーの前に、黒い影が躍り出る。

049 バーミリオン

「無理だよマルベリー。君は魔女の支配下に入っちゃってるからね。そういう事を考えられないようになってたのに、なんで気が付いちゃったかなあ」

050 マルベリー

「道化か。相変わらず好かない顔だ」

051 バーミリオン

「ヒドーイ、元々オイラは美少年なんだぞー。オイラなんて、あの魔女にこんな姿にされてからそのままさ。君が生まれるよりずっと前の話だけどね」

 おどけた調子で笑う声が割って入る。バーミリオンだ。草陰からひょっこり顔を覗かせているが、その異質さが今や何の違和感もなく見られる。

052 マルベリー

「魔女に監視に出されたか、また首を飛ばそうか。一度ならずとも、原型が分からなくなるまで抉ってやる。それなら再生するまで時間もかかるだろう」

053 バーミリオン

「前に君が魔女の秘密に気が付いた時、どうしたのか覚えてる?」

054 マルベリー

「お前達に返り討ちにあったんだったな」

055 バーミリオン

「そう、急に襲い掛かってきたマルベリーが悪いんだよ? 正当防衛って言うでしょ?」

056 マルベリー

「その時の屈辱も含めて、倍にして返してやる」

057 バーミリオン

「あれから百年、そろそろ思い出してもおかしくない頃だと思っていたけど、コーラルまで巻き込むなんてねえ。諦めが肝心だよマルベリー、そしてコーラル」

 話は全て聞かれている。そこには何の疑いもない。マルベリーは拳を握り、吐き捨てた。

058 マルベリー

「終わりの来ない世界は気楽で良いな。忘却の果てにめでたしめでたしか」

059 バーミリオン

「みーんな忘れて、ここの常識に合わせた生活お茶会をして――それはそれは幸せそうな光景だと思うんだけど、どうだい」

 本来の表情が分からないカボチャの頭だからこそ、ふざけているようにも見えて不気味だ。言葉の軽さがさらにその気味の悪さを引き立てている。

060 コーラル

「マルベリー、魔女は死なないって……手段って、どうするつもりでいるの。また返り討ちに遭うだけじゃない」

061 マルベリー

「クロラの方は既に死んでいる。時間という概念がないからどちらも同じに見えるだけだ。アイツは歪んだ不死者シロエの茶番に付き合ってるだけに過ぎない。この世界で歪んでいるものは――生きているのはお前と、シロエだけだ」

062 コーラル

「気が付いた事も、魔女にはバレてるの?」

 強く袖を引っ張ったものの、腕力の差からか、あっさりと振り払われる。

063 クロラ

「F6、白の兵隊ポーン。前へ」

 どこからともなく声が聞こえ、コーラルは咄嗟に耳を塞いだ。誰の声かはっきりと理解しているのに、どこから響いてくるのか分からないのが恐ろしい。

064 コーラル

「これ、私を追い出そうとした時に使ってた、人を操る魔法だったよね……魔女が近くにいるの?」

 ズルズルと引き摺られるように足が動き出す。膝から下の神経が削げ落ちたように、己のものではなくなっていた。頭で命じてみても、決して思うようには動かない。

065 マルベリー

「コーラル?」

066 コーラル

「やだ、逃げて。体が勝手に動く! 足が思うようにならなくて――」

 体は意思に逆らってシャベルに向かう。嫌だと思いながらも手を伸ばしてしまう。握りを掴む指が次第に隙間を埋めていく。腕に重さが伝わり、コーラルは声を洩らした。

067 クロラ

「非力な子供だ。意思だけで私に抵抗するつもりか?」

068 バーミリオン

「魔女の呪術に対抗するには、呪術でなくちゃあ」

069 マルベリー

「くそ、またこうなるのか!」

070 コーラル

「マルベリー、逃げて! このままじゃ、私がマルベリーを」

071 マルベリー

「自由が利けばとうにそうしている! ――魔女め!」

 腹の底から罵声を浴びせて、膝を折る。その様子は重力に逆らっているようにも見える。全身を地面に押し付けられているようだった。

072 バーミリオン

「悪い子にはお仕置きが必要だよねえ。お菓子をくれなきゃ悪戯するぞう」

073 クロラ

「マルベリーは前科があるから、少しお灸を据えてやらなければいけないな」

074 コーラル

「バーミリオン! 止めてくれないの!? 一度は私を助けてくれたのに!」

075 バーミリオン

「助けてなんていないよ、僕はここへ君を誘い込んだだけじゃない。忘れちゃったのコーラル」

076 コーラル

「――バーミリオン!」

 傍らで部外者のように振舞うカボチャ頭を睨めつける。バーミリオンは悪ぶった様子もなく、無邪気に答えるだけだった。

077 バーミリオン

「ごめんねコーラル、僕は魔女には逆らえないようになってるんだ」

078 クロラ

「どうせ記憶を奪うのだから教えてやろう。この場所は鏡で反響し合っている。内側しか映さないから外を見る事はできない。内側から溶接してしまったから、外から抉じ開ける事もできないし、これはただのいかさまに過ぎない」

079 バーミリオン

「魔導師の存在自体もいかさまだってこと。誰かの作り話って事もあるかも?」

 何がおかしいのか、バーミリオンがけらけらと笑った。それが不愉快で彼を睨んでも、本人がそれに応じる様子はない。

080 クロラ

「シロエも同様に私という鏡で縛られている。こんな場所に一人だけ残されて、それでも狂わない自信はあるか? それでも魔女をやめる方法は残されてない。死ぬ事もできなければ、眠る事もないからな」

081 コーラル

「あんた達双子の事情に付き合わされるこっちの身にもなってよ!」

 意地でも傀儡になりたくないと腕に力を篭めてみるものの、思うようにはならず腕が震えた。

082 クロラ

「マルベリーが掘り返していた墓の正体教えてやろうか?」

083 マルベリー

「あれは空だったぞ! 中身はどこへやった!?」

 マルベリーの咄嗟の一言にも苦笑じみた笑みを洩らし、クロラはチェス盤を片手に続ける。茂みから出てきた黒服の魔女はマルベリーに構う事なく、真っ直ぐコーラルの方を向いていた。

084 バーミリオン

「空っぽ空っぽ、いくら掘り返しても出てこないよ」

085 クロラ

「そう、空っぽだ。コーラル・バーリー、お前のように時々迷い込んだ人間のためのものだよ」

086 コーラル

「あの人達はどこへ行ったの……?」

087 クロラ

「時機に分かる」

 腕が独りでにシャベルを振り上げる。視界にはマルベリーが入っている。その先が容易に想像できて、目を伏せる。

088 コーラル

「い、いやだ、腕が勝手に」

089 バーミリオン

「みーんな魔女が使役する妖精になっちゃった」

 硬い感触と共に、肉片が抉れた音がした。

 無意識は残酷だ。

 暗転した視界に光を入れようと目を開ける。ゆっくりと目を開くと、いつも通りの柔らかい光が目に入り、眩しさに重たい瞼を擦る。

090 コーラル

「夢……? 悪い夢?」

 ろくでもない一連の出来事は全て悪夢だ。そう信じ込む事で安心しようとしていたところに、一番見たくなかったカボチャの橙色が映る。

091 バーミリオン

「ざーんねんでした」

092 コーラル

「夢――じゃない」

093 バーミリオン

「人は忘れるという便利な機能を持っているんだ。痛みはもうないでしょ?」

 言われて気付き、飛び起きて自分の手足を確認する。何故そうしたかったのかは分からない。そうしなければならないような気がした。

094 コーラル

「痛み? 手足を縛り付けるような、あの――」

095 バーミリオン

「ここで上手く生活する方法は簡単だよ。全部が夢だと思う事さ」

096 コーラル

「私……なんでここにいるの? 全部悪い夢で、目を覚ましたら忘れられるって――」

097 クロラ

「生憎だが夢ではない。バーミリオン、私の視界に入るな。お前の顔は癇に障る」

 手で追い払いながらクロラが嫌そうな顔を浮かべる。バーミリオンはそれを聞いて口元に手を当て、仰け反った。

098 バーミリオン

「ヒドーイ、こうしたのは君達なのにー」

099 クロラ

「元の顔からして私の癇に障るからだ。お前の頭なぞカボチャで十分だ。どうした、小娘」

 きつめの口調で問うクロラの態度は素っ気無い。少女が己が自分の事に関してだけ、何も思い出せないことに愕然としていた。

100 コーラル

「私の名前、何だったっけ……? バーミリオンと、クロラの事は分かるのに」

101 クロラ

「コーラル・バーリー、お前は矛盾と不条理だらけのこの世界に迷い込んだ子供に過ぎない」

102 コーラル

「そうだ、マルベリーは!? マルベリーはどうなったの?」

103 バーミリオン

「マルベリーならそこにいるよ」

 掛け布団を跳ね除けて立ち上がろうとし、バランスを崩してクロラの腕に倒れ込む。足に上手く力が入らない。

 部屋の隅に佇む影を見つけて、コーラルは顔を上げる。

104 コーラル

「マルベリー……良かった、無事なの?」

 そう尋ねなければならない気がして、、、、裾にしがみ付く。男は怪訝な表情を浮かべて首を傾げた。

105 マルベリー

「何の事だ」

106 コーラル

「え――私、マルベリーの事をシャベルで殴らなかった?」

107 マルベリー

「知らないな。俺はずっとここにいた」

108 コーラル

「確か、シャベルで殴って……目の前が真っ暗になって……あれ――なんで、そんな事をしたんだっけ?」

 事情が分からず背後を振り返ると、バーミリオンが耳元で囁いた。

109 バーミリオン

「それがシロエの能力。クロラとは違って忘れさせちゃうんだ。君が何を聞いても無駄だよー? 君だって自分が何をしてたか、ろくに思い出せないでしょ?」

110 コーラル

「思い出せない? 私は村で……」

111 バーミリオン

「痛かったことも、怖かったことも、全部悪い夢なのさ。君がいるのは夢の中。ね、そう思い込めたら、もう気味が悪い事だって怖くないでしょ?」

 悪戯に笑う妖精は性質が悪い。ぽかんと口を開けたまま、暫く思考が止まっていた気がした。

 バーミリオンがからかう通り、何をしようとしていたのかさっぱり思い出せなくなっている。

112 コーラル

「私、何故こんな場所にいるの……?」

 どうしても理解のできない言葉を独白した。

 コーラルが目を覚ますまでを見守り、食卓に空になったティーカップを置いてシロエは微苦笑する。痛い程に責めてくるクロラの視線を感じていたのは、恐らく本人だけだった。

113 クロラ

傀儡かいらいを作り上げるのは簡単でも、意思まで殺すのは難しい。マルベリーみたいなタイプの奴にはあまり効果がない。何かのきっかけで思い出す」

114 シロエ

「そうねえ、だけど私にしてあげられる親切といったらこれくらいだわ」

115 クロラ

「コーラルも同類じゃないかと思うが……あれは衰弱するか発狂するかのどっちかだな」

116 シロエ

「生憎私には忘れさせてあげる事しか出来ないもの。魔法の才覚には恵まれなかったから、仕方がないわ」

 残り少なくなったティーポットに手を伸ばし、カップに注ぐ。

 暢気な姉を見やってクロラは肩を竦めた。食卓脇の椅子に手をかけ、静かに腰掛ける。

117 クロラ

「シロエ――お前はもう一人、自分の仲間を手に入れた。ここでは生きているものは死なない。私はお前に一つだけ聞いてみたい事があった」

118 シロエ

「なあに? 片割れである私にも内緒のこと?」

119 クロラ

「一人だけ生き残っているって言うのはどういう感覚なんだ?」

 暫くの沈黙を挟み、シロエは問いを反芻する。

 次第に何がおかしいのか、自然と笑みが零れた。苦笑だったのか、嘲笑だったのか、それは自分でも分からない。

120 シロエ

「ふ、ふふ、そんなこと。そんなことをずっと気にしていたの、クロラ。私の目を持ってしても、悟らせなかった貴方の本心」

121 クロラ

「魔法の才覚に恵まれなかったのがシロエなら、私はシロエとは違って寿命には恵まれなかったな」

122 シロエ

「大丈夫よ、ここでなら貴方も私も大した差なんてないわ」

123 クロラ

「一人だけそちら側に置いてきてしまったからな。唯一の肉親だけど、私には分かってやれないみたいだ」

124 シロエ

「分からなくても良いのよ、私はもう何も心配なんてしてないわ。貴方はとうに死んでしまってるから、私から逃れる事は出来ないもの」

 屈折した愛情を真に受けて、逃げられもせずに留まっているクロラからしてみれば、既に迷惑だと思うには度が過ぎている。ただ未練のまま依存する相手でしかない。

 不変の場所で変化を期待するのは無理な話だ。元より死者に変化など無謀である。

125 クロラ

「元より逃げようもない場所だけれどな」

126 シロエ

「悪い冗談は止しなさい。――誰も逃がさない、私を過去にしようとするものは誰一人とて許さない。それは貴方も同じよ、クロラ」

 名指しで指名され、怯む。そんなクロラの頭を撫で回しながら、シロエは紅茶を注いだティーカップを勧めた。

127 クロラ

「どちらが悪い冗談か」

128 シロエ

「所詮、魔導師が作り出した箱庭の幻想。そこに暮らす人々は、いつまでも変わらず幸せに暮らしましたとさ――ね、そんなお話も良いでしょう? めでたしめでたし。そういうお話がここにもある、ただそれだけの事。ねえクロラ、いつまでも消える事ができない貴方だもの。それも一つの幸せでしょう?」

 静かに尋ねられた言葉を否定できない。

 クロラは曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すだけだった。

129 コーラル

 本当に嘘をついてるのは、誰?

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