SCRIPT:NERVE WORKS

　奇妙な体験をしたことはありませんか。

　私はあります。それを奇妙だと言い切る事が出来るかどうかは、私には分からないのだけど。

　とにかく、私自身が感じる『不思議』というものが、私の目の前に現われたのです。何もかもが捩れておかしくなってしまうという事が。

　私の体験を、人は神隠しと言うのだけれど――。

　満月の夜には不思議な力があるという言い伝えがあります。

　その言い伝えは私の住んでいた村にも、当然のように存在していました。

　だからこそ森には立ち入るなと教えられていたのです。

　”村の外れの森は、一度入ったら出られない”

　口を揃えて、大人は言います。

　何故、そう言い切れるのでしょうか。

　森から出てきた人を見たという人間がいない事は確かな様だけど。

　本当に誰も出てきた事がないと言い切れるでしょうか。

　確かめようとする人はこの村にはいません。

　夜の森には魔物が棲むと大人は言うから。

　満月の夜に、この森に封じ込められた魔導師の呪いが掛かっていると言うのだから。

　特に今日みたいな、良く晴れた10月31日の夕方には。

　太陽の季節が終わり、暗闇の季節が始まる頃、二つの境界の門が開く。

　忘れもしない。あれはそう、まさに10月31日の夕方のこと。

　宵闇の森、嘘だらけの冥界。嘘をついてるのは誰？

「まただ……なんでー？　おかしいな……何度も同じ場所を通ってる気がするのに、一向に森から出れそうにない」

「縛ったリボンどころか、折った枝も、置いた大きな石までそのままなんて。同じところを行き来してるとしか思えない」

「気をつけて見てるつもりなのに、ここに着くまでの景色がいつも違うのは何故？　同じ場所をぐるぐる回ってるわけじゃないのに……」

「暗くなってきちゃったし――さっきは同じ道を試したから、今度はこっち行ってみよう……。どこか休むところがあれば良いんだけど。こうも暗くちゃ何も見えないし」

『何が神隠しよ、そんなもの大人のでっち上げだってば。あんな森、怖くなんてないんだから。見てなさいよ、ちゃんと魔女の小屋まで辿り着いて、必ず帰ってくるからね』

「こんな事なら意地を張るんじゃなかった」

「ん？　なにかいるの？」

「気の所為かな？」

（やっぱり――気の所為じゃ、ない。どうしよう、振り返る？　逃げる？）

（よし、振り返ろう。いち、にの――さん！）

「くっ……黒猫？」

「なんだ、脅かさないでよ」

「喋るけどね」

「ひっ！」

「おっとと、放り投げるなんてヒドいなあ」

「普通、猫が喋れば驚くでしょ！」

「普通じゃないから喋るんだろー」

「だっ、ダメダメ。こういうのは変に反応したらつけ上がるっ。夢だ夢夢、疲れてるだけ！」

「駄目だよ振り返っちゃ」

「なんでよ。そんなの私の勝手でしょ」

「駄目なんだってばー。ループが乱れて練り直しされちゃうから」

「ループ？　なにそれ」

「この森に近付いちゃいけないよ、結界が張ってあるんだ」

「今頃言わないでよ。とっくに出られなくなってるじゃない」

「じゃあ明るくなるまでオイラの家で休むかい？　ああ、でもなあ……やっぱ今のナシね」

「ちょっと待ってよ、置いて行く気？」

「んん？　もしオイラが更なる森の奥へ向かうって言っても、ついてくる？」

「こんなわけの分からない場所に放置されるよりずっといい！　家に来たらいいって今、あんたが言い出だしたんだからね。ここで引き返してまた迷子になったら、今度は誰も通らないかもしれないじゃない」

「わけの分からない場所とは失礼な。オイラのお気に入りの場所なんだぞ」

「よくこんな気味の悪いとこにいられるのね」

「慣れちゃえば大した事ないさー。でもこの先は、キミの神様が遠退いていってしまうよ？　それでもいいの？」

「意味が分かんない。もうちょっと分かりやすく言って」

「祝福とは程遠いところに向かってる、って言っても分からないかな。困ったニャー」

「語尾にニャーをつければ猫っぽくなるとでも思ってるの？」

「その程度で猫になれるならもっと気が楽かな。オイラはバーミリオン。キミは？」

「コーラル。名前なんて聞いてどうするの」

「呼ぶ時に少女Aだと不便だろ。呼びやすい方がいいに決まってら」

「ああそう、そんな理由」

「オイラは忠告したもんねー、オイラは悪くないよなー」

「なに？　なんか言った？」

「うんにゃ、独り言。なんでコーラルはこんな森に入ったの？」

「ただの肝試し。皆が森を怖がるから。でも確かに変な森。捩れた木なんて見たことない。村の隣にあるのに誰も来た事がないなんて、気味悪がって近寄らないだけでしょ。大した事ないじゃない」

「迷子になりやすい森だからねえ」

「そうだ、森の奥に魔女の家があるって噂、本当？」

「うん、本当な話。森の奥だけど、森の始まりでもあるよ。オイラはそこの魔女の使い。ほら、そろそろ景色が変わってくる頃だろう？」

「やけに黒い木ばっかりだけど」

「おや、それ以外に違う場所が見つからない？」

「うーん……少し霧っぽくなってきた？　白い靄がかかってるような――」

「あれ、そんなぎょっとしちゃってどうしたの？」

「って、あんた何!?　やっぱり化け猫だったのね！」

「確かに化け猫だったけど、そんなはっきり傷つくなー」

「なにそんなカボチャなんて被ってんの、脱ぎなさいよ変人！」

「中に人なんていませんよ」

「嘘！　今すぐそんな被り物取りなさい、重たくて首が疲れるだけよ！」

「中に人はいないってばー」

「取りなさいよ、気味が悪いったら」

「あっ、やめてやめて身が出る！　身が出る！」

「ねえ……そのカボチャ頭、本当に被り物じゃないの？」

「そう言ってるじゃないかー、子供は時に残酷だーい」

「……見ててお腹が空いてくるから、できれば外して欲しいんだけど」

「食用禁止ですからね！　間違っても非常食じゃありませんからね！」

「ああーもう、道に迷うわ変なものに会うわ、いっそカボチャ被ってるだけの変人のが良かったな……」

「喋る猫が人型になっても驚かないんだねー、オイラはそっちにビックリだ」

「猫が喋るって時点で十分ビックリしたし、なんかもう、驚くのも疲れただけ」

「早速慣れられちゃった!?　オイラそんなにパンチない？」

「パンチっていうか、最初はドッキリするけど二度目はもう分かってるからドキッとしないと思う」

「うっ！　オイラの駄目な部分をしっかり見抜かれた！　今度から悪戯する時には気をつけよう……精進します」

「あ、ちょっと待ってバーミリオン。もう少しゆっくり歩いて欲しいんだけど、暗くて足元見えなくなってきたし」

「月明かりで見えない？　もう少し進めば灯りのあるところに出るんだけど、ここじゃ何もないなあ」

「ダメ、バーミリオンほど目は良くないみたい。ちょっと影になってるとこは全然見えないもん」

「よしじゃあちょっとお願いしてみて、ホラホラ。おねがーいバーミリオン様☆って可愛く」

「とっとと火を焚けカボチャ頭。ここで衰弱死するような事があったら、心優しーいはずのバーミリオンが私の事を見捨てたんだ、って一生祟ってやる」

「グフッ！　オイラの長い一生を祟られたらこの先の人生真っ暗すぎる！　うう、ちょっと待っとれ、今火を起こして……ブフ！」

「バーミリオン!?」

「ぐ、ぐふっ……不覚……」

「頭！　頭取れてるし！　やっぱり被りものだったんじゃない！」

「か、被りものでは……」

「なにこれ！　頭の中身からっぽだし、本物のカボチャじゃない！」

「だから中に人はいないって言ったのに」

「出っ張った枝にでもぶつかったの？　って、頭前後反対になってる」

「いや、違うんだ。誰かいるから気をつけて。うっかりして殴られちゃった」

「殴られたって――誰もいないじゃ……」

「危なーい！」

「わあ！」

「だだだ誰かと思ったらー！」

「外したか。フン、周囲に意識を集中させたところで、俺のような死者の気配なんて当てにならないぞ」

「バーミリオンじゃなくて、私を狙ってるの――？」

「侵入者は排除する」

「待て待て待てマルベリー、待てってば！　その子は侵入者じゃなくって」

（何か受け止めるもの……そうだ、これ！）

「木か……子供の割に判断がいいな」

「セ、セーフ！　死ぬかと思った……」

「ああー顔がちょっと抉れちゃったよ。もー、掘るのは土だけにしてよね」

「どうせすぐに元に戻るだろう、痛覚も持たない体じゃないか。気にする必要もない」

「シャベル!?　シャベルなんかでバーミリオンを殴ったの!?」

「武器にもなる万能道具だと知らんのか」

「そうじゃなくて、そんなもので殴ったのって聞いたの」

「そんな事か。そいつはこの程度じゃ死なない、怪我もしない。俺の邪魔をするなら丸ごと払い除けるだけだ。そいつにも、そうされるべき理由がある」

「理由って、なに」

「外の人間には関係がない」

「外の人間？　この先に集落でもあるの？　何でいきなり私に襲いかかってきたの？」

「お前が、こちらの領域に踏み込んで来たからだ。お前のような人間が来る場所じゃない」

「駄目なの？」

「俺はお前を侵入者と判断した」

（意味わかんない。こんな真っ暗な中、一人で帰れって言うの？　なんかこう、やたら偉そうなのが鼻に付くっていうか……バーミリオンは――）

「オイラがうっかり連れて来ちゃったんだよー」

（駄目だありゃ、使えない）

「おーい聞いてんの、マルベリー。オイラの事は無視ですかー」

「大体、侵入者ってどういうこと。動物の縄張りみたいな主張しないでよ」

「お前の世界と、こちらの世界の境界線を跨いだ。それ以上の説明は必要ないだろう？」

「マルベリーってばー。オイラが魔女と交渉してなんとか――」

「生きた人間をこちらに入れるわけにはいかない。お前のためだ、それ以上は煩い妖精にでも聞くんだな」

「森の奥に用があるだけよ！」

「森の奥？　魔女の事か」

「魔女の小屋があるって話を確かめたいだけ。一晩休ませてもらって、それで明日の朝には帰るつもり。何の不都合があるの？」

「正気で言ってるのか？」

「こわーいお婆さんが魔女の秘薬を作るために、子供を壷に入れてぐつぐつ煮込んじゃうとでも言うの？　そういうのだったら、あまり怖くない。一晩泊めてもらって、明るくなったら帰るもの。迷惑はかけないわ」

「そういう魔女ならまだ救いようがあったかもな」

「マルベリー、そこらへんにしておいてあげて！　大丈夫でしょー一晩くらいなら」

「本人も同意の上でか？　大丈夫という、その根拠はあるのか？」

「うーん、なんとなく？」

「ここがどういう場所か知らない奴は暢気だな」

「知らないわけじゃないよ、オイラは特に不便してないから説明しないだけ」

「より性質が悪い。すぐに帰せ」

「ええー折角できた友達、帰しちゃうの？」

「お前の感覚と、その娘の感覚は相容れない」

「そうかなー。秋の夜の突然の訪問者、退屈に心を売り渡した魔女にはうってつけのお土産だと思うんだけど。駄目だよマルベリー、魔女の使いには従わなきゃ」

「……勝手にしろ。その代わり、そこに俺を巻き込むなよ」

「話はもういいの？」

「うん、そこのこわーいお兄さんに睨まれるかもしれないけど、気にしないで。ようこそコーラル、暗闇の先はまた暗闇だけど」

「ええと、私は森の奥……魔女のところに行ってもいいんだよね？」

「安心して、マルベリーが言う程悪い魔女じゃないよ。オイラがちゃんと説明するから。魔女は寂しがり屋で友達が欲しいだけさ」

「それならいいんだけど……あっちの人は？」

「森の番人マルベリー・ウィスプ。墓堀り屋でシャベル持ってんの。んで、普段は墓引っくり返して死体調べたりしてるの」

「ううわあ、趣味悪い」

「とりあえず火を焚こう、何も見えないでしょ。さっきマルベリーが叩き割った幹があるから、それを使おう」

「後から悔いたって遅いからな」

「何のこと？　というか、何でそんな死体堀りなんてしてるの。葬儀屋さんでもないんでしょ？」

「答える必要を感じない」

「D4、兵隊（ポーン）停滞。紛れ込んでいたのはカラスか。E5、兵隊（ポーン）D4を取れ」

「あららら勝手に体が動くぞう？」

「バーミリオン？　どうしたの？」

「見えない何かに引っ張られてるー」

「私はその娘を歓迎した覚えはない。私に自由になるのは黒の領域。B8、騎士（ナイト）――」

「あわわわこれはクロラの仕業かな。説明するまでもなく見張られてたかっ」

「これは……魔女か！　くそ！」

「行儀が悪いなマルベリー。私に刃物を向けるとは」

「貴様はその程度では傷一つ負わない。何をしに来た、俺は職務放棄などしていないぞ！」

「監視者たるシロエを恐れるのか、意外と腑抜けだな。出来の悪い傀儡（かいらい）は嫌いだ」

「ど、どうなってるの？　敵？　貴方は誰」

「私は宵闇の魔女、クロラ・ゲインズボロ。ようこそ迷い子、我々はお前を歓迎できない。すぐさま元の世界に帰れ。今ならまだ間に合う」

「帰れって、森に迷って帰れないないから、こうして森の魔女を頼ってきてるんじゃない。一晩泊めて欲しいだけよ、夜が明ければ帰る」

「帰れない？　バーミリオン、責務を果たさなかったのは貴様か」

「森の入り口に迷子がいたから、やさしーいオイラは助けてあげようと思って、道案内をしていただけですよ？」

「ロリコン、幼女誘拐、変質者」

「仕事です！　この役目を押し付けたのは君達魔女です！」

「開口一番帰れって、森は真っ暗だし、夜の森には獣が出るのよ!?」

「それでもだ。今の内に戻らなければお前は多分後悔する事になる」

「なんなの、一体」

「でーもー、そろそろ時間が危ないと思うんだけどなー。夜道に小さな女の子一人、危ないと思うんだけどなー」

「何のためにお前がいるんだ。そんな役に立たぬ精霊、瓶に詰めてしまえ」

「待ってクロラ！　カボチャにも人権はあるんだぞ、いきなり瓶に押し込めようとしないで！」

「お前がいても煩いだけだ、邪魔なら少ない方が良い。貴様が境界に近付く対象を追い払わなかったツケが、こうして回ってきてるんじゃないか」

「分かりました責任取ります、取りますからその瓶こっちに向けないで！」

「――とは言ったものの……もう遅いようだな。なんてことだ」

「日は沈んだ、もう遅い。どう責任を取るつもりだと？」

「あ、あのー。日が沈んだらまずいの？　よく分からないんだけど」

「バーミリオン……貴様が」

「にっ、睨むなよう。順番が前後しちゃっただけじゃないかよう」

「悠長な娘だ。何も知らないなら教えてやる。ここは10月31日の夜のまま、数百年を過ごしている。いや、もう千年を越えているのか？」

「ええ？　それってつまり」

「11月1日の朝は来ない。朝が来ない限り、お前がここから出る事は適わない」

「ちょ……ちょっと待って、朝が来ないって」

「本来なら日が沈む前に境界の外に押し退けて入れないようにする。そこのカボチャのような、両方を行き来できる妖精が、だ」

「え、えと、だから二人とも怒ってるの？」

「クロラもマルベリーも気が短いんだからー」

「誰の所為だと思っている、ボンクラ頭」

「明日にならなければ帰れない――って事とは違うみたいね」

「周りの木を見ただろう？　時間の歪みに押されてるから、あんな歪んだ形になる。夜という枠に捉えられたまま外に出られないんだ」

「木って、ぐねぐね曲がってるだけの気持ち悪い木じゃない。何を言いたいのかよく分からないけど、大人が揃って子供を騙そうなんてどうかしてるわ」

「そう思いたいならそう思えばいい。私は嘘はついていない。人もそうだ。見た目は良くても中身が歪んでいる可能性がある。こうなってしまった以上、仕方がないな」

「よくわかんないけど、そこの陰険男が襲い掛かってきたのも、本当は私のためだったってこと？」

「陰険……？」

「否定はできなかろう。だけどお前、穏便に済ませようとしなかったようだな」

「手っ取り早く片付けるなら、力尽くで追い出すのが一番早い。やり方は任せるとシロエが言っていた。文句を言われる筋合いはない」

「シロエが言ったのか？　それならまあ、仕方ないか――そうだな、仕方ないな。腹を括ってもらうしかない」

「今気が付いたんだけど、星空は動いてるのね。やっぱりそんな冗談言って、私を怖がらせようって魂胆？　怖がらせて怯えてるところを食べるっていうのもありかな、魔女だもんね」

「他人を信じられなくなるとは不便なものだな」

「馬鹿にした風に言わないで。そっちの言ってることの方が、ずっと嘘っぱちに聞こえるじゃない。何でって聞いてもはっきりした声がないもの」

「試してみるか、小娘」

「え――」

「どうした、魔女の小屋に用があるんじゃなかったのか」

「ええ用はありますとも。一晩泊めさせてもらうだけだからね。朝になったら村に帰るんだから、半日の辛抱よ」

「あまり頼む態度には見えないな、辛抱はこちらの台詞な気もするが――まあいい全て自業自得なんだ。帰るぞバーミリオン、お前は少し反省するべきだ」

「はあい、もうしませーん」

「マルベリー、お前も来い」

「掘り返した土をそのままにしている。片付けてくる」

「必要ない。もう門は閉じている。いくらか運良く逃れられた妖精がいたとしても、今頃外で野たれ死んでるだろう。あちらから来たものなら私が気付かないはずがない」

「その娘はどうするつもりだ？」

「こうなったら諦めてもらうしかないだろう」

「日頃退屈をしている白い魔女は喜ぶだろうな」

「わざわざ言うな、目に浮かぶ」

「魔女が子供相手にむきになるとは。随分怒ってるようだが放っておいて良いのか」

「引っ込みがつかなくなっているだけだろう、そのうち諦める。どうせ誰も外には出られない。彼女もこちらの住人になった。それだけだ」

「それだけ――本当にそれだけか？」